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一色大提灯まつり~歴史~

三河一色大提灯まつり~歴史~

三河一色大提灯まつりが行われる三河一色諏訪神社は、永禄年間(1558~69年)に、長野県の諏訪大社から御分霊を勧請し、一色の諏訪大明神として祭ったことが起源と伝えられています。そのころ、毎年夏から秋にかけて海魔(かいま)が現れ、田畑を荒し、人畜に危害を加えていました。そこで村人たちは神前に魔鎮(ましずめ)の剣を供え、大かがり火をたき、海魔退散を祈願したところ、海魔は退散。以後、毎年祭りの神事として、かがり火をたくのが習わしとなりました。これが三河一色大提灯まつりの起源といわれています。

三河一色大提灯まつり~提灯の変遷~

かがり火から提灯へ

初期のかがり火をたく神事は約100年ほど続きましたが、寛文年間(1661~72年)のころに、かがり火を焚くことが不便だということで、提灯をつくりこれに献灯するように変わりました。当時は竹ざおに提灯をつるす高張提灯のようなものであったと考えられています。
江戸時代中期になると、竹ざおが丸太柱に変えられ、提灯も大きくなり、その上部には屋根形の覆いがつけられました。
次に伝えられた仏壇(ぶつだん)提灯は、提灯自体はあまり豪華ではなかったようですが、屋根形の覆全体に、彫刻や金色、朱色の塗りが施されていたようです。

二本柱時代の提灯~三本柱時代の提灯へ

二本柱時代の提灯~三本柱時代の提灯へ

柱を両側に立て、その間に二張の提灯をつるすようになったのは、元文年間(1736~40年)・寛保年間(1741~43年)と考えられています。提灯が大きくなり、屋根形覆と提灯との重量や風圧に耐えられる丈夫な柱が必要になったからです。
二本柱時代の提灯は全長4.6m、胴回りの直径2.6mのサイズになり、塩竈(しおがま)神社に払い下げられた天岩戸図(あまのいわとず)の提灯があります。
文化年間(1804~17年)・文政年間(1818~29年)に二本柱から三本柱に変わったと考えられていますが、明確な記録はありません。このころ「地輪(じりん)」という、地下仕組が考案されたという言い伝えがあり、これが現在の大提灯や大柱に発展していく過程での大きな力となったようです。
また、二本柱の提灯はすべて竹でしたが、三本柱の提灯はひのきの柾(まさ)に変わりました。ただし、諏訪組の提灯だけは現在も竹の骨でできています。
大提灯の大きさは小さいものでも長さ約5.91m、直径約3.64m。大きいものになると長さ約10m、直径約5.60mにもなります。使用するろうそくも最大で長さ約1.1m、重さは約93kgにもなります。
大提灯の大きさに関しては、江戸時代の安政3年(1856年)に西尾藩から質素倹約のため「胴回りの直径を3.64mより大きくしてはならない」と厳命がありましたが、当時3.2mの提灯をかかげていた間浜組は不満に思い、翌安政4年に規定を上回る大提灯を掲揚しました。
その結果、間浜組の世話人数人が入牢し、間浜組の提灯は2~3年間掲揚禁止になったと伝えられています。

まつりの工程

柱立て

20m近くある柱を各組3本ずつ8月21日に立てる。(昭和49年までは人力で立てられた。)8月23日に屋根形の覆を仕組む。(屋根の骨組みを組み立てる。)

柱立て

屋根形覆揚げ

26日、屋根形覆に障子をはめ込む。お祓いを受けた氏子たち各組30〜50名により、合図の拍子木の音とともにカグラサン(万力)を使って引き揚げる。

屋根形覆揚げ

屋根形覆揚げ

大提灯揚げ

26日午前8時、各組2張ずつカグラサンを使って引き揚げる。午前10時30分頃、12張全ての大提灯が掲揚される。

大提灯揚げ

神楽

26日午後3時・8時、各組から1名ずつ選ばれた神子(巫女・小学3年〜6年の女子)6人により、三河一色諏訪神社の神楽殿で奉納される。

神楽

献燈祭(火入れ式)

26日午後7時、各組の代表がお祓いを受け御神火を受ける。大提灯の下で大ろうそくに御神火をうつし、献灯される。午後8時頃には、全ての提灯にろうそくが吊るされる。この時にまつりのピークを迎え、火入れ式を一目見ようと境内には人々であふれる。

献燈祭(火入れ式)

ろうそくの入った後の大提灯の幻想的な灯りは必見です。
26日の午後11時までろうそくの火が焚かれ、27日午後5時「あげ神楽」を合図に降納されてお祭りは終わりとなります。

一色の大提灯 ものしり講座

鉄筋コンクリート製の地輪

▲鉄筋コンクリート製の地輪

大柱を支える地中の仕組み「地輪」

大提灯2張と屋根を支える3本の大柱にかかる力は、とても大きいと考えられます。では、この大柱はどのように立っているのでしょうか。
柱立ての要領は、間浜組の漁師、仁右衛門が漁船の帆柱を建てる要領をヒントに考え出したといわれています。帆柱を倒さない工夫とは、帆柱の基底部にあたるところが凸、柱をくわえこむ部分が凹で、凸凹の部分をかみ合せて固定すれば、帆柱が折れない限り倒れない原理を柱立てに応用しました。この大提灯大柱を支える地下の仕組みを総称して「地輪」と呼び、それぞれの柱の地下2.5mの位置に埋設してあります。
長い間、人の力で地輪を掘り出し、柱を立てていましたが、地輪が老朽化して取り替える時期に合わせて、地輪掘りから柱立てまでの工程が機械化されていきました。昭和49年(1974年)に機械掘りを導入したときに、これまでの木製の地輪では耐えることができなくなったため、昭和51年(1976年)の間浜組と大宝組の地輪を皮切りに、順次、鉄筋コンクリート製につくり変えられました。

現在の大のぼり

▲現在の大のぼり

大のぼりは神が降りる目印

三河一色大提灯まつり当日、三河一色諏訪神社から参道を北側に進んだところに、2本の大のぼりがたてられます。これは、祭礼のときに神の御霊(みたま)が、天上より降りてくるときの目印として立てられています。大のぼりは、大提灯が大きくなっていくのにあわせて、大提灯とつり合いがとれるように大きくなってきたと考えられますが、正確な記録が残っていません。大のぼりの大きさは、縦20m、横2.9mで、これを立てる柱は、長さ25m、周囲90cmの杉丸が2本使用されており、この柱を立てるのにも「地輪」が使われています。 大のぼりに書かれている文字は、内田不賢が書いたものとされ、「今年の五穀豊穣大漁満足を迎えたい」「郷社諏訪神社に附属する郷村氏子全員」で祈念するということでしたが、現在は氏子の安全祈願に変わっているようです。

一色のばかぢょうちん一度見ぬもばか二度見るもばか

一色のばかぢょうちん

明治の中ごろ、知多や渥美から一色の大提灯について「一色のばかぢょうちん、一度見ぬもばか、二度見るもばか」といわれていたことが伝わっています。これは、提灯のあまりの大きさに見た人たちが「ばかにでかい提灯」と形容し、後に省略された表現になったとみられます。
諏訪神社の氏子たちは、長い年月をかけて大提灯を守り続けてきたもので、「一色のばかぢょうちん」とよばれるほど有名になったことを誇りとしていたといわれています。

ご存知ですか歴史ボランティア

▲観光客に説明をする歴史ボランティア

ご存知ですか
歴史ボランティア

三河一色大提灯まつりが行われる8月26日・27日の両日に、観光客を対象に「歴史ボランティア」の皆さんが、大提灯の歴史などについて説明をしています。 歴史ボランティアは、平成19年に活動を開始し、文化財保護委員会委員による勉強会などを積み重ね、現在10人の会員が所属しています。
大提灯に関する概要やいわれなど、会場をめぐりながら丁寧に説明してくれますので、まつりの当日には、ぜひ声をかけてください。 歴史ボランティアは、緑の帽子とベストが目印です。

交通のご案内

提灯の絵柄と文字

提灯の絵柄と文字

三河一色大提灯まつりの交通規制

交通規制図